何者かであること
2026/04/13
荒木建策(放送作家/脚本家)
先週の話だ。
平日の昼間、
「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、
相手は女性で
「今度、特別な集まりがあるので、
ご招待したくて来ました。
招待状をお渡ししたいです」と宣う。
あ、エホバだ。
直感的にそう思った私は、
「ポストに入れといてください」
と返した。
「あ、分かりました!」と
全然嫌じゃない素敵な返事があったのだが、
ポストを確認すると
案の定、エホバのよく分からない
教典のようなものと、
なんか2日に渉るイベントの
招待状が入っていた。
もちろん即ゴミ箱行きなのだが、
そういえば…と
中学生の頃、
クラスにひとり、
エホバの信者がいたことを思い出す。
宗教自体を否定する訳ではないのだが
昼食の前にひとりでお祈りをしたり、
それでいて
彼女はとにかく無口で友達は皆無。
結構浮いた存在であった。
親の信仰によって、
彼女が生き辛いのであれば、
可愛そうだなと思ったりもした。
そんな彼女が、
ある日、うちへ来た。
両親と一緒に。
そして、
エホバがいかに素晴らしい宗教かを説く。
何を聞かされたか
全部忘れたのだが、
同級生の家を訪れ信仰を説いた。
この出来事で、
あ、完全にヤバい家なんだと
もう、何もかばえなくなった、という話。
話は変わるが、
人は、
ある意味「何者かでありたい」という生き物。
私自身で例えると、
「放送作家」とか「劇団主宰」とか、
やってきたことで一応何者かにはなれている。
一方、そうでない人はどうだろうか。
「エホバの証人」の彼女は?
もしかすると、
「浄土宗を信仰しています」より
「私はエホバの証人」です、の方が
自分が何者か、
はっきりさせるという意味で、
魅力的なのかも知れない。
先週の話だ。
平日の昼間、
「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、
相手は女性で
「今度、特別な集まりがあるので、
ご招待したくて来ました。
招待状をお渡ししたいです」と宣う。
あ、エホバだ。
直感的にそう思った私は、
「ポストに入れといてください」
と返した。
「あ、分かりました!」と
全然嫌じゃない素敵な返事があったのだが、
ポストを確認すると
案の定、エホバのよく分からない
教典のようなものと、
なんか2日に渉るイベントの
招待状が入っていた。
もちろん即ゴミ箱行きなのだが、
そういえば…と
中学生の頃、
クラスにひとり、
エホバの信者がいたことを思い出す。
宗教自体を否定する訳ではないのだが
昼食の前にひとりでお祈りをしたり、
それでいて
彼女はとにかく無口で友達は皆無。
結構浮いた存在であった。
親の信仰によって、
彼女が生き辛いのであれば、
可愛そうだなと思ったりもした。
そんな彼女が、
ある日、うちへ来た。
両親と一緒に。
そして、
エホバがいかに素晴らしい宗教かを説く。
何を聞かされたか
全部忘れたのだが、
同級生の家を訪れ信仰を説いた。
この出来事で、
あ、完全にヤバい家なんだと
もう、何もかばえなくなった、という話。
話は変わるが、
人は、
ある意味「何者かでありたい」という生き物。
私自身で例えると、
「放送作家」とか「劇団主宰」とか、
やってきたことで一応何者かにはなれている。
一方、そうでない人はどうだろうか。
「エホバの証人」の彼女は?
もしかすると、
「浄土宗を信仰しています」より
「私はエホバの証人」です、の方が
自分が何者か、
はっきりさせるという意味で、
魅力的なのかも知れない。