山登りの破滅願望

2026/04/20

荒木建策(放送作家/脚本家)

最近、山に関する事故を描いた
YouTubeばかり視聴している。

遭難だったり獣害だったり、
無事だったり亡くなっていたり、
東京で何の危険もなく生きる私からは
無縁の事象が何故か興味をそそるのである。
ある意味では、
危険があるのにどうしてそこに行くのか?
そういう疑問を払拭するための時間、
と言ってもいいかも知れない。
そして、とうとう、
ある種の答えというか、
それに近いものに辿り着いた。

きっかけはAさんという登山愛好家の
エピソードを描いた動画。
彼は、2012年7月16日に
鈴鹿山脈「御池岳」において遭難。
6日間の遭難の末に救助され、
遭難から救助までを綴った
自伝的なブログの生々しさも相成り、
その体験は、
「伝説の遭難」と呼ばれることとなる。

そのブログを基に作成された動画で
私は初めて彼の存在、
そして体験を知った訳だが、
過酷な環境と幻覚に悩まされながら
生き抜いた体験は、
想像を絶するという言葉では
生ぬるいのかも知れないと思った。

しかし、私が惹かれたのはそこではない。
Aさんはその後も登山を続けた挙句、
その時の遭難体験を「懐かしい」と
感じていることを吐露していることだ。

生きるか死ぬかの体験をし、
たくさんの人に迷惑を掛けて
やっと繋ぎ止めた命。
それでいて、その体験を
懐かしいと感じてしまう矛盾。

私は悟った、それこそが、
危険を冒してまで登山をする理由なのだ、と。
(緩やかな山へ夏登山する的な人は別)

破滅願望。

Aさんで言うと、
極端に言うと「もう一度遭難したい」
「最初の遭難」以降、
彼はそういう考えに囚われていたに違いない。

戦場カメラマンという職業がある。
聞いた話によると、
戦場の悲惨さを戦争を知らない人々に届けたい
という使命感の一方で、
死と隣り合わせの環境、そのスリルに魅了され、
何度も戦場に足を運んでしまう人も多いのだとか。

山や戦場に囚われる感覚。
分からなくはないし、
Aさんの動画を見て至極納得した話。

ちなみに余談ではあるが、Aさんは、
2度目の遭難で結局命を落としている。