言葉はデリケート

2020/06/29

業界で評判の美人作家と翌日のランチ代を賭けた漫画しりとりをしていて、
彼女が『エースをねらえ』私が『エスパー魔美』と続いて彼女が『みこすり半劇場』!
と勢いよく答えたことが原因で眠気が吹き飛び、今こうしてパソコンに向かっている次第である。
言葉は取り扱い次第で薬にもなれば毒にもなることを我々は肝に銘じておかねばならない。
学生時代、とあるふたりの間に子どもができた。
ふたりとも20歳を過ぎた頃で、結婚に対する心構えも金銭的な準備もできていなかった。
大学を辞めてでも産みたいとする彼女に対し、
彼は見ているこちらが不憫になるほど思い悩んでいたが、
最後には意を決してこう切り出した。「産んでもいいよ」
私は彼の決断に拍手した。
これでふたりは新たな一歩を踏み出すものとばかり思っていたが、
その言葉を聞いた彼女は結婚を拒み、一人で子どもを産み育てることを決心した。
それは何故か。
「産んでくれ」彼女はその言葉を待っていたのである。
後に「産んでもいい」などという譲歩の意味を含んだ言葉が彼の口から出てきたことに、
先々への不安を抱いたのだと明かした。
ほんの些細な語尾の違いが人の運命を左右してしまうほど、言葉はデリケートなものである。
下ネタが飛び交う飲みの席ならいざ知らず、
雲の合間から月が顔を出す静かな夜に、
『みこすり半劇場』は、さすがにどうかと私は思うのである。


荒木建策