感情消失

2021/09/27

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

喜怒哀楽。
最近、とある事情で
全ての感情を失ってしまった、と思っていた。
しかし「怒」の感情だけ根強く残っているらしい。

不特定多数の人の目に触れる、
下手をすれば海の向こうにいる人にふむふむなるほどと
読まれるやも知れぬインターネットという場において、
(実際、サンフランシスコ在住の叔母もたまに読んでくれている)
こんなことを書いたところで気が晴れるわけではないし、
何かが解消されるわけではないのだが。

たまたま目にしたカナダの木こりに
何だ構ってちゃんのジャップかと呆れられるだけだと知りながら、
どうしても書かずにはいられないほど
他の感情が失われていたのだ。

そんな中、気晴らしに
近所で外食をしてみたのだが…。

ちょっと小洒落た飲食店は、
どうしてレジに爪楊枝を置きたがるのか。
テーブルでシーシーして欲しくないのか。
コロナ禍だからなのか。
イメージ悪いから、
どうぞ店の外で思う存分シーシーしてくださいということなのか。
外でシーシーは行儀がよろしくないことぐらい知ってるだろう。
レジではなくトイレに置いてくれればそれでいいじゃないか。
「怒」

それから、
どうして子どもは冬の足音が聞こえてくる
この季節にランニング一枚なのか。
見ているこっちが寒くなってくるからこれを着ろと、
遊びにきた隣人の子どもにジャケットを手渡したら
にべもなく断られた。
もう暖房の季節じゃないか。
学芸会を控えてるってのに風邪引いたら事じゃないか。
「怒」

だけど、私も子どもの時分は、
雪の日だってランニングで通したじゃないかバカ野郎。
あ、短パンの時もまあまああったな。
「登り棒冷たっ!!」ってなった記憶。

書いていたら全然怒るほどのことじゃなかったと
気付きました、すみません!