ヨガファイヤー

2021/10/04

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

ここ1ヶ月くらい玄関の前までしか家を出ていないので
正直に言うとネタがないのです。
そこで、今回はこのコラムそのものについて書きたいと思います。

1本書くにあたり、要する時間は30分の時もあれば
3時間のこともあり、まちまちです。
書くのは大体、締め切り当日、もしくは前日。
鼻歌まじりに楽しみながら一気に書いてしまうのですが、
締め切りの時間が刻一刻と近づいてくる中、
何も浮かんでこず、まったく筆が進まないこともありました。

仕事量や労力に雲泥の差はありますが、
私はそれ以来、漫画家の冨樫さんを許せるようになりました。
「冨樫、しかたねーよ、そんな日、そんな月、そんな年もあるって」
そう思うようになってから、自分にも甘くなりました。

例えば、写真を載せて、
文章があっての写真ではなく、写真があっての文章、
そういったイメージで、強引に写真を置くことで
文章のハードルを下げられるのではないか、とか。
雑念。
ですが、写真は使わず文章のみで勝負することを選びました。
辛い方を選んで良かったと思います。

辛いと言えば、何より辛いのは過去の文章を読み返してみると、
盛大にスベっている文章があること。
個人的に、映像と文章の大きな違いはここであり、
文章は、良くも悪くも「残る」ということです。

子供のころの運動会や学芸会、入学式、卒業式の映像は、
恥ずかしくも微笑ましく見れます。
しかし、作文や寄せ書き、ラブレターはどうでしょう。
顔からヨガファイヤーでしょ。
家が燃えちゃうでしょ。
つまり、文章は感情がヨガフレイムしているってことだと思うんですよ。
恥部を出しちゃってるんです。
ヨガテレポートを使って過去に戻れたら書き直したいぐらいです。

でも、こうやって思い起こして一本のコラムが書けるのは続けてきたから。
恥ずかしさの矢はビュンビュン飛んでくるし、
ただ長くだらだらと続けることに意味はないけれど、
続けてきたからこそ生まれる意味や感情もあると私は思うのです。

ということで、次回は節目の250回!
よろしくお願いいたします。