花火と亀仙人

2021/10/11

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

学生のころ、自宅に集まって
友人たちと漫画のキャラクターについてあれこれ語った。
あのセリフやあの場面にはこんな意味があるんじゃないか、
そんな話をアツく語っていたわけだが、
そんなことを繰り返していると、どんどん寄っていくのが人間で、
何に対しても意味を勘ぐるようになった。

電車の中で奇抜なデザインのシャツを着ている人を見れば、
なぜあなたはそれを買ったのか、
そこから、ストーリーを組み立てたりして、
頭の中はグルグル回っている。

外に出たり、テレビを見ているときは、
心の中でツッコミを入れるのが日常になっていて、
それにはどんな意味があるんだと、
見えないものと戦っていた。

数年前、江戸川の河川敷に花火を見に行った。
オープニングからエンディングまで、
自分は花火師の意図を汲み取る遊びをしていたわけだが、
ひとつだけどうにも理解できない花火があった。
しだれ柳に富士山をイメージした、
ワンツーを争うほど見物客が盛り上がった場面だが、
なぜ、東京でメインクラスの見せ場にマウントフジを持ってきたのか。
頭の中で?マークが飛び交った。

花火大会とは、地元の協賛で成り立っており、
その土地を推していくスタイルではないのか。
札幌雪祭りでBEGINの曲が流れるような
気持ち悪さを感じていたのだが、
周りはその違和感に気づいていない、というか気にもしていない。

たしかに綺麗だった。
もしや、俺が気にしすぎなのか。
純粋に見たままの光景を楽しめない天邪鬼なのか。
何かにつけて意味を求めるのは、一歩間違えば偏屈でもある。

うがった見方をするのはもうやめよう。
素直に純粋にすべてを見たいと思うわけだが、
その昔、ドラゴンボールのキャラでいうと俺たちは誰なんだろうな
という話に仲間内でなり、私の部屋に集まっているという理由だけで、
「お前はカメハウスの亀仙人だな」と言われたときの心の傷は
まだ癒えていない。