山積みの本

2021/12/27

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

うちには小説が結構たくさんある。
こう書くと読書家のようだが、
ジャンルはミステリーのみ。
誰もが聞いたことがある作家の代表作が並ぶ程度である。

マンガは過去に読んだものを
何回読み返しても楽しいので、
暇な時に掘り出したりすることもある。
小説は失礼ながら一度読めば紙の塊。
中には小説も読み返す人もいるようだが、
その感覚は自分にはない。

問題なのは購入して一度も手を付けず
もしくは途中で読むのをやめた小説が何冊もあること。
全体の約3割はそうで、
最近は移動の際にそれらを選んで読むようにしている。

家を出る前に何冊かタイトルを見て、
初めの数ページをペラペラめくって、
よし読んだことないと確信したらカバンに入れる。
ここまでやっているのに、やっているのにだ、
いざ、読んでみると
物語が中盤から終盤に差し掛かったあたりで気づくのだ。

「これ、見たことある」と。

自分は小説に限らず、
文章を読む際に脳内ですべて映像に変換する。
おそらくだいたいの人が頭の中で
映像化していると思うのだけれど、
いきなりピンとくるのだ。
読んだことがあるではなく、見たことがあると。

いきなりピンとくるのだったらもっと早くに来いよと。
そこそこ終盤になって、
盛り上がる部分でようやく気づくのだから、
時間の無駄もいいところ。
最近、それが多くて本を手に取るのが恐い。

もちろん、完璧に覚えられるわけじゃないし、
むしろ、引き出す情報量は弱いのではないか。
だから、まったく記憶されずに印象の強い部分までこないと
思い出せないことが多々起こるのではないか、
最近そう思うようになってきた。

歳を重ねると脳の劣化は避けられない。
もしや、自分のような記憶法はよくないのではと恐くもなる。
家族と過ごした日々や大好きな女性と行った
思い出の場所を思い出せなくなったらどうしよう。

それだけは絶対に嫌なので、
脳はたしかに衰えるが鍛えることもできる。
まずは家にある本を読んで、
過去に読んだかどうか、
記憶のゆりかごをゆっさゆさ振ってみようと思う。
ちなみに、我が家にもある荻原浩さんの著書
「明日の記憶」は名作。
みなさんもぜひ。
どんな話だったかは...思い出せない。