ひとの気持ちが分からない

2022/12/26

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

私は今、京都にいる。
28日の午前中までいる。
本日、25日もそうなのだが、
意外と忙しくホテルでリモート会議をこなし、
合間を縫って観光に出かけるという
意味不明なことをやっている。
しかし、それはそれで楽しく、
時間を効率よく使えている感が心地よくもある。

明日も2本のリモート会議が入っているし、
明後日も同じく2本。
その間は割とタイトで準備する資料等の多く、
遠出はできないため、
行けても八坂神社や清水寺あたりまでだろうか。
2度ずつ行ったことがある。

それって京都にいる意味あるの?
と尋ねられたら「ぐぬぬ」と唸るしかないが、
旅に意味を求めるのは、
ナンセンスが甚だしく、
人生に意味を求めるのに等しい。

それはそうと、
清水寺といえば、今年の漢字は「戦」だとか。
知らなかった。
これに関しては、
あまりの忙しさにテレビ作る人間が
全くテレビを見ないという悪循環の賜物であるが、
全力の「知らんがな!」または「知りまへん!」を
贈りたいと思う。

「戦」は2001年以来21年ぶり。
これには、気持ちばかりの「もうええて」を贈ろう。
オリンピックがある度に「金」。
戦争が起こる度に「戦」。
大きな災害が起こる度に「災」。
もうええて。
公募x多数決のシステムは面白味ゼロ。
無味無臭である。

そもそも、応募する人の
モチベーションはどこにあるのか?
これには「どないでっしゃろ?」を贈りたい。
贈られた方が
「これ、贈り先あってます?」と
困るくらいの量とタイミングで
どないでっしゃろ?を贈りたい。

応募した字が多数決で今年の漢字になることで、
応募者は何を思うのだろうか?
優越感?達成感?共感?安堵感?
しっくりくる感覚が私の中にはなく、
これには「誰か教えておくんなまし!」を贈りたい。
皆、これが一番多くなりそう、
という観点で応募しているのか?
その文字が一番多かったとして、何を感じるのか。
誰か教えておくんなまし!

他人の腹の内を探りたい。
他人の腹の内を探りたい。
私は今、京都にいる。

誰かの顔色を常に伺って生きてきたせいで、
空気を読む能力が偏差値80を超える私なのに
京都人の腹の内が探れない。
フロントの人が、
ずっとホテルにいる俺に「京都はいかがですか?」と
聞いてきた理由が分からない。
京都は、人を疑心暗鬼にさせる。
ああ、なれるもんなら素直になりたい。

...これが2022年最後のコラム。
徒然なるままに書き綴ってやった感だけはある。

皆様、どうぞ、よいお年をお迎えください!!(本心)