チャーシュー美と別れ

2018/10/08

「チャーシュー美」という言葉をご存知だろうか。

私は、20代末期の頃の女に、その言葉を教わった。
チャーシュー麺を頼み、のろのろとメンをすすってスープをなめて、
チャーシューを綺麗に残して席を立つこと数知れず。

ある時、「どうせ、また同じことを繰り返すのだし、ラーメンにしてはどうか」と諭したところ、
彼女は迷うことなくラーメンとその下にあるチャーシューご飯のボタンを押して、
やはり、麺と飯だけ平らげチャーシューを残した。

「チャーシューが好きだから見たいの。見ていたいの」

道徳も哲学も理念も、好きという言葉を前にしては説得力を失う。

「口にするのがもったいないほど、薄く切られたチャーシューが好き」

その心情をどうにか理解しようと、
朦朧とする頭であれこれ考えを巡らす内、
不思議な国に迷い込んだような気分になってきて、
数日後、彼女と別れることを決めた。

今となっては、良い思い出である。


荒木建策