土下座の価値は

2020/02/24

スーツの人が土下座していた。和民の前で。何度も。
「生意気言ってすみませんでした!」
久しぶりに見た土下座は…まあ頻繁に目の当たりにするものでもないが、
とにかくその土下座は申し訳なさが滲み出ていて、
私が謝られているわけでもないのに全てを許したくなった。
これまでに、一度だけ土下座されたことがある。
雪がちらつく真冬の夜、ある男にマウンテンバイクを貸した。
目的の地まで15キロ。残金は50円。
上野まで走ったところで寒さに耐え切れず、
偽造テレカを手に、ウロウロしていたイラン人にマウンテンバイクを売ってラーメンをすすり、
タクシーで目的地に向かったという。
ナボナと名乗るそのイラン人は大層喜んでいたらしい。
しかし、マウンテンバイクの所有者は私だ。
勝手に売り飛ばした男に、悪びれる様子もなく「へへへ」とされりゃ、
さすがの私も本気で2、3発殴っただろうが、土下座しながら「すみませんでした!」である。
土下座にはそれだけのパワーがあるというか、
調子に乗ってついついぐらいのことなら事を荒立てず、許すというのが日本人の美徳だろ。
そもそも肉の国に戦争でメチャメチャにされた後、スクラム組んで一緒に頑張ってきた仲間じゃないか。
十分に反省しているから、床屋の前で怒鳴り散らしているポロシャツの人、
まあそうカリカリせずに落ち着きなさいよと、そっとつぶやいた2月の夜である。


荒木建策