長い弱音ともとれる小品

2020/07/27

執筆/荒木建策・放送作家

生きていれば色々ある。
弁当を買ったけれど箸が入っていないとか、
喜び勇んでおこわ弁当を開けたら苦手な赤飯が入っていたりとか、
勝手に大盛りにされていて代金もきっちり取られていたりとか。
いや、弁当絡みの不幸ばっかりかい!
そう思うのもごもっともだが、
皆様、私が弁当を開くのはケではなく、ハレの時であるわけで、
ハレにおける不幸はカウンターのように効くのです。
体力ゲージが緑から黄色、黄色から赤へ、徐々に減っていきます。
しかし、赤や緑はそのままなのに、何故黄だけはその後に「色」をつけるのでしょう。
水はわかります。
「すみません、絵の具の水ください」。
それじゃ水道水を渡されて終わりですから水色とするのはわかりますが、
黄は黄だけでも通じるでしょう。それなのに「色」をつけるこの不思議。
色をつけるより先に箸をつけろバカ野郎。
弱っていると、他人が輝いて見えますね。
今、一番輝いているのは、とある喫茶店のマスターです。
いつ見ても変わらないんですよマスターは。
変わろうとして変われないのではなく、
変えずにいようとの意志に従った結果、いつまでも変わらない。
変われないと変えないとの間には、日本海溝よりも深い溝があることはさておき、眩しいのです。
変わらぬマスターを見るにつけ、俺は何でくすぶってんだ、何をやってんだと思うわけです。
だから箸をつけてもらえないんだと。
4連休も明け、今日からはまた仕事仕事の日々。
最もすべきは、いち早くゲージを緑に戻し、自分自身が輝くことですね。
なので、今後、箸の有無にはくれぐれも気をつけることにします。
皆様もお気をつけて。