近くから望む旅

2020/07/30

今村記/

先の4連休では、どこへも遠出しなかったのですが、
各々の地元の方が地元の観光地など、
近いからいつでも行ける、と後回しにしていたところに行って、
地元の魅力、再発見!とか、
まずは身近でできる支援で経済を回していけないものか、と素人的には思っています。

これでもかと手洗いや消毒を徹底していても、
都民というだけで、Go toキャンペーンからは除外されましたが、
現状を見るに、致し方ないとも思っているので、
(東京タワーの展望台にも一度しか登ったことがない私が言うのもなんですが)
今後様子見て、東京でも行ったことのない名所へ徐々に飛距離を伸ばしていくべく、
とりあえず手始めに"哲学堂"を散策したいです。
亡き祖父との楽しかった思い出の地。
正門の左右に幽霊と天狗の像を祀っている珍しい公園です。

幼少期に"哲学"などという概念は当然わからないので、
当時近所だったゆえの散歩コースでした。
公園内には、
どこぞかの博士の庭の梅の下にお化けが出たため、ここにその木を移植した、という、
子供にとってはおどろおどろしい説明板があった梅の木を強烈に記憶していますが、
井上円了さんだったと、後になって知りました。

そしてこれはかなり私感が入りますが、
下手に哲学をかじっている友人が今でも、
しょうもないヨタ話で皆が盛り上がっているさなかでも、
「いや、ソクラテスはかつてこう言ってた…」とか、
遠い目でして、結構強めにかつ斜めな角度から話を遮るので、
毎度、場をポカンとさせており…それ今、要る?と。
「あそこのラーメン屋美味しいよねー」「確かにー」「えー、私B店の方が好きー」「俺まだ行ってないわー」
という程度の日常会話の中で急に、
「真理は少数派だよ。 (byキルケゴール)」とか割り入ってくるという具合に、
何とも不思議な拗らせ方をしているように窺えるので、
"哲学"とは適度な距離を保っておこうと個人的には思っています。

中学生の頃だったか、ニーチェやらの哲学書を読んでみたりもしたので、
数々の名言があることも承知してはいますが…でもそのタイミングで言う?
其々異なる味覚を持っているのに、そこに真理とか見い出せる?

でも、そんな風にその場を軽く凍てつかせる常習でも、決して悪いやつではなく、むしろ面白いやつでもあるんですけどね。
昨今の”俺の人生哲学”的なものとは少々色合いが違いますから、混同されませんよう。

そして前述の大好きだった祖父が晩年、
私が近くにいるのを知ってか知らずか、
「いや~孫はかわいかった」と、親戚に話しているのを聞いて、
(…ing)じゃなくて、もはや(…ed)、過去形なのか…
それとも知らぬ間に私は孫を卒業していたのか…etc.
ま、いっか。
私にとっては、昔も今もこれからも大切な存在であることに変わりない。
のに、無意識ながら私も「大好き"だった"祖父」って書いてしまった。。
Loving you, おじいちゃん。今でも。
現在進行形。


システム/プランニング担当
今村