デビュー戦の話

2022/02/28

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

高校時代、通学路の途中の家にダッシャーという名前の犬がいた。
犬小屋に入って、鎖に繋がれているという、
昔はよく目にした飼い犬の風景。
しかし、その鎖が外れやすく、鎖を引きずったまま
よく近所をうろついていた。

ダッシャーには、意味もなく急に走り出す癖があった。
何かに追われているのか、むしろ何かを追っているのか、
周りをある程度うろうろした後、急にビューン。
鎖が地面をうねる音とダッシャーの真剣な眼差しが、
バカさ加減を引き立たせていた。

近所では、その姿はもはや名物。
幸い車に轢かれることもないし人を襲ったりもしないから、
ダッシャーは可愛いただのバカ犬という認識で、
町の風景に溶け込んでいた。

そんなダッシャーが、ある日を境にピタリと走らなくなった。
はじめは、最近おとなしいなくらいの感覚で、
しばらくすると明らかに走ってないと違和感を覚えるほどに。
犬小屋を覗くと変わった様子は見られないが、
心なしか元気がないようにも思える。
体調が優れないのか、それとも走る理由がなくなったのか。
知る術はない。
そして、私は上京することになり、
次に通りかかったときにはダッシャーの姿はもうなかった。

時は流れて10年後。
何気なくスポーツ新聞をめくっていたら、
競馬面に見覚えのある名前を発見した。
電流が走ったとはまさにこのことで、
競馬なんてやったことはなかったけれど、
コレは買わなきゃいけないと強く思った。

いざレースでは、直線でジョッキーが追い出した瞬間に昔の記憶が蘇った。
手綱は鎖に見え、凄まじいスピードで駆け抜ける様は、
あの日のバカ犬そのもの。

もしかして、お前はなりたいものに生まれ変わったのかな。
ダッシャーゴーゴー。
いい名前もつけてもらって、よかったな。
そう思った競馬のデビュー戦の話。

3万円ほど浮き、脛を噛んだことは帳消しにした。