見送り

2022/04/18

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

品川駅で待ち合わせたときには
彼はすでに酔っていた。
「暇だから見送りに来て」と連絡があったのは
金曜日の夕方のこと。

座席が取れないからと数本の新幹線を見送り、
その間に駅内の蕎麦屋でウーロン割りを2杯、
チューハイを2杯いただいたそうで、
これから仕事のため関西へ向かうという先輩は
業界内の噂をばらまくゴシップ野郎になっていた。

まだ飲み足りないし腹が減ったとごねる先輩を
道中で調べておいた駅中にある
評判の居酒屋に先導したわけだが、
ここでも彼の舌は絶好調。

それこそスポーツ新聞の見出しなら
「舌好調」と表記されるほどキレキレで、
どこで聞いてきたのか
次から次へと出てくる芸能界の黒い噂。
まるでガーシーと呑んでいるような気分になった。

ひいてやあれこれ注文して
一口食べただけで俺はもういらないとのたまうし、
口にするのは日本酒と味噌汁の水物だけ。
ここまでおいしい料理を
一口だけつまんで箸をぴくりとも動かさないのは、
料理の鉄人に出演していた岸朝子ぐらいで、
おいしゅうございましたも言えないとなれば
それ以下である。

如何ともしがたい雰囲気の中に置かれた私が
政治家なら遺憾の意を表明しているところで、
まさに怒り新党を立ち上げる。

酒の席で話が開花するのは、
各方位から放たれる穏やかな愛か、
もしくはやさしさが理由だ。
そして何より、うまいと感じるのは
素材ではなく環境であることを、
イカを丸一匹で注文し、
私に全てを託した先輩はどうか学んでほしい。

きれいに10等分されたイカを
先輩が食べたのはたった一切れ。

嗚呼、イカが皿と文章の上で泣いている。