記憶の保管

2022/06/06

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

人生の折り返し地点に差し掛かると
写真を趣味に持つ人が多くなる。
人生は思い出作り。
そう感じる人が記憶の保管のために
シャッターを切るのだろうか。

地味な趣味だと思っていたけれど、
思い出作りは人の本能なのか、
とりわけ日本人は西郷隆盛を除いて
大半が写真好きである。
そうでなければ
電話にカメラが付くことはなかっただろうし、
プリントシール機がここまで
流行ることもなかっただろう。

そういえば、子どもの頃は
写真を撮るのが好きだった。
使い捨てカメラの袋を開けてから
3分でフィルムを使い切ってしまい、
怒られたこともあった。

今、デジカメやスマホで
小さい子どもが自由にシャッターを
切っているのを見ると、
いい時代になったなぁと感慨深くなる。
便利な時代に生まれたものだ。

公共の場でカメラを構えても
違和感がないほど
今の世の中に浸透したわけだが、
何を隠そう私は人前でシャッターを
押すのが恥ずかしい。

堂々と大衆の面前でカメラを構える人の
メンタルを見習いたいとも思うが、
景色を撮るのは、
自分の趣味を覗かれているようだし、
人間を撮るにしても、
撮ったものを後から見直すほど、
人に興味がある訳ではない。
それを痛感させられるのも嫌だ。

という一方、
自分の思い出の写真というのは、
意外と多く残っていて、
何歳のときにどんなことをした、
というのはほとんど振り返ることが可能だ。

それは、きっと記録して、
残してくれようとした人がいたからか
他人の記録の保管に便乗しているから。

先日のバーベキューで
色んな方が撮ってくれた写真があり、
多数の写真に私が写っていた。
彼らがいなければ
あの日の記憶は
そのうち無くなっていたかも知れない。

自分の記憶は自分で保管。
よし、カメラを始めよう。