2022/10/03

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

前回、このコラムが300回を迎え、
今までにない数の方から「おめでとー」「ありがとー」「このヤロー」
といった激励や感謝のお言葉を頂戴した。

私は褒められると
図に乗ると同時に伸びもするタイプであるから、
よっしゃやってやろうとモチベーションが急上昇。
夏を思わせる暑さに街はグッタリする中、
脳内でわっしょいわっしょいと祭りが開催されたわけだが、
どうやら神輿を担いだまま街を練り歩きすぎたようで
もっといい文章を、表現をと考える内、
いつしかグッタリ疲れて完全に書きどころを逸した。

日曜の今頃になってモソモソとキーボードを叩いている
そんな私の、今一番の関心事は「ー」(調音符号)についてである。

例えば、小説のジャンルである「ミステリ」には、
ミステリと表現する場合とミステリーと表現する場合があるが、
これは昭和30年代、早川書房が
「海外の推理小説を積極的に展開する」と決めた際、
ブランドとして「ハヤカワ・ミステリ」を創設したことに始まり、
それ以降、推理小説を「ミステリ」と呼ぶようになり、
怪奇現象のようなものを「ミステリー」としたことに由来する。

一方、コンピュータやサーバなどのIT用語については、
1画面に20文字3行しか表示できないという
昔のコンピュータの性能に由来する。
1文字のデータに2バイトの容量を食うため、
削っても伝わるものはできるだけ削ろうとの考えからである。

上記のような様々な事情が「ー」の使い方を
ややこしくしているのだが、
ほとんど人が由来を知らずに使い分けているに違いないし、
そもそも使い分けようとすらしていないかも知れない。
結局「どっちでもいい」というのが実情なのである。

ところが、物を書く人間にとってはどうだろう?

私のような端くれでも、
文章を読んだだけで誰が書いたものなのか分かることがある。
大半が、書き手その人ならではの言い回しによる部分が大きいが、
先の「ー」の使い方ひとつ取ってもブレがないというか、
使い方の精度が高いのだ。
ある作品ではパーティと書き、
ある一方ではパーティーと書いているというようなことが少ない。
つまりは、そんな細かいこだわりが、
「らしい」文章を生み出す一因になりうるということ。

たった棒線一本という勿れ。
これは、たぶん全ての仕事に通ずる一本の棒だ。

そんな話から入った300とんで一本目。
とんでをひらがなにしたのは、
飛か跳か、わからなかったからである。