服配りおじさん

2022/12/12

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

「他人に自分の服をあげたがる人種が少なからずいる」

駆け出しの頃、
いつもみすぼらしい格好をしていたせいか、
先輩がよく服をくれた。

当時、ファッションにそこまで興味はなかったし、
お洒落の定義なんてあってないようなものだから、
こだわりはなかった。
全裸を免れ、寒さが凌げれば何だっていいと考えていた。

だから、どんな服をもらっても、
おもいっきりズレていなければ、
ありがとうございますと頭を下げて、
何度も洗濯にかけてから着させてもらった。

雨に濡れて先輩の自宅兼事務所に出向いたときも、
胸にカタカナで大きく「バンビーナ」と
明朝体で描かれたシャツをかりて着て帰ったし、
今どき女子小学生でも着ないような
キャラクターシャツを着て外に出たこともある。

まさに来るもの拒まず。
少し違う気もするが、
私は服の持つ本当の意味を知っているから、
身分相応であれば何でもよかったのである。
しかし、先輩は、
ときに嫌がらせとしか思えない服をくれることがあった。

股下にぽっかり穴が空いたデニムを、
ピンク地に茶色の大きなシミがついたシャツを、
自分はもう要らないとの理由で手渡してきたこともある。
そんなもん、俺もいらねぇよ。

バンビーナを刃物とするならば、
股下に大きな穴があるデニムはむきだしの核弾頭。
「これ、高かったんだからな!」
そういいながらくれた、
コーヒーをこぼしたようなシミ付きのシャツは、
カギを失くした空の金庫をもらったようなものである。
はっきり言って、バンビーナを下回る衣類が
この世に存在するとは思わなかった。

その先輩が、先日、久しぶりに服をくれると言い出した。
私は胸が踊った。
どんなサプライズが用意されているのか。
両胸の部分にまん丸の穴が空いているシャツか、
フードだけしかないダウンジャケットか。
しかし、手渡されたのは、パッと見普通のパーカー。
私は礼を言って、大切に使うことを約束。
疑ったことを心から詫びたが、直後に驚きの忠告をされた。

「チャックが壊れていて、下まで下げたらもう終わり。
二度と閉まらなくなるから、着るときには下にトレーナーを」

その言いつけを守り、
私は背中に刃物を突きつけられたような感覚を覚えながら、
神経をすり減らしつつその服を着ている。
お礼に今度、バンビーナのシャツを返そう。
きっと、懐かしんでくれるに違いない。