don't mind

2023/11/13

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

学生のときは「ドンマイ」という言葉を
恥じらいなく言えた気がする。
運動部に所属していたら、
味方の失敗には条件反射的にドンマイと声が出ていたし、
文化部でも体育の時間などには
ごく普通に発していた。

いつからだろう。
ドンマイと言わなくなったのは。

ふと、使える場面はないかと考えてみる。
会議中に先輩が思いっきりスベったとしよう。

「OOさん、ドンマイ」

光景を想像して欲しい。
スベった先輩に対して、

「OOさん、ドンマイ」

ブラック企業じゃなくとも張り倒される。
ドンマイと言われた先輩はどういう顔をすればいいのか。
それが例え同じ事務所の先輩だとしても、
ドンマイと口にするのは
越えてはいけないラインの向こう側だ。

外国は違うと思うが、
日本では立場が下の者から上の人に対して
ドンマイと言うのは失礼になってしまう。
では、立場の上の人から
下の人への「ドンマイ」はどこまで許されるのか?

自分に置き換えて考えてみると...
会議でスベった後輩のジューシー木村。
会議後に優しく肩を叩き「ドンマイ」。
あまりにキザで、気恥ずかしいけれどアリといえばアリか。
しかし、数日後、
会議でスベった私に向かって
木村が「荒木さん、ドンマイです」
と言っている姿が目に浮かぶ。
そして私は思うのだろう。
「何様だよ」と。

やはり、「ドンマイ」は既に死語なのか。
そう思っていたところ、
考えを改める出来事があった。
最近、ハマっているオンラインゲームでのこと。
このゲームは見知らぬ4人でダンジョンに挑むのだが、
3回死んだらクエストは失敗。
ひとりが3回連続して死んだらもちろんダメで、
死んだ回数が累計3回になったら自動的に終了、
というシステム。

先日、
あからさまに中学生といった感じの
ユーザー3人と狩りに出かけていた時のこと。
私は始まった途端に一回死んだのだが、
彼らはノーリアクション。

二回死んでもスルー。
この時点で私はメンバーのお荷物。
罪悪感でプレイは悪化する一方。

そして、三回目の死亡。
申し訳なさで涙が溢れる寸前。
そのとき...

「ドンマイ!」
「ドンマイ!」
「ドンマイ!」

このドンマイに、私は救われた。
キザなんかじゃない。
気恥ずかしくなんかない。
「ドンマイ」には、
人を救う力が、今でもある。