知らない方が幸せなこと

2024/04/15

荒木建策(放送作家/アリゴ座主宰)

知識欲とか野次馬根性が
人一倍強い私には、
そんなことなどないと
知らない方が幸せなことなどないと
思っていた時代がありました。

でも、今は違う。

付き合っていた女性が
極道の妻だったり、
三日前に食べた牛丼に
実はねずみが入っていたり、
高校生のときに毎日飲んでいた
いちごオレの着色に
コチニールカイガラムシが使われていたり、
知らない方が幸せなことは、
世の中には山ほどある。

そして、
知らなかった方が良かったのか
どっちなのか
判断に困るというか、
考えても永遠に答えが出ないこともある。
であるから、綴ることにした。

高校時代、
私は陸上部に所属していたのだが、
3年生になった時分、
新入生として入ってきた後輩の中に
丸田という男がいた。
共に汗を流した期間は数ヶ月。
種目も違っていたから、
特になにか印象的な
思い出があるかと言えば、
そうではない。

だが、
どこか人好きのする人間で
頭も切れるやつだったという覚えがある。
だから、
10数年振りに東京で再開したときに
家業の印刷会社を継いで社長になり、
地元では指折りの企業の
代表であると知ったときには
何の不思議もなかった。
順風満帆な人生だなコノヤローとか
そんなことも思っていた気がするし、
飲んだノリで言った気もする。

それからもう、何年も経った。
男同士だから
きっかけがない限り
連絡なんてしないし、
どこかで繋がっていれば
また会う機会もある。
そんな風に思っていたのだが、
ある日、
というか、
4月12日のことであるが、
彼のFacebookに
珍しく長文の投稿があった。

そして、そこには、
その日が妹の命日であること
25年前、
家族で釣りを楽しんでいるところに
酔っ払い運転の車が突っ込んできて
彼女を轢いてしまったこと、
13歳だった彼の無力さというか
そんな経緯が
赤裸々に綴られていた。

知らなかった。

私と彼が出会ったのは、
それから2、3年後だ。
あまりの悲しさと苦しみで
学校に行けなくなるくらいだったというし
まだ、心には深い傷が
あったのだろうと思うと、
知らなかったことに罪の意識が
生まれてきた。

なにかあの頃、
彼との会話の中で
傷付けてしまうような発言とか
追い討ちしてしまうような
行動はなかったか。
思い出せはしないのだけど、
色々と考えてしまう。
一日中、考えて頭が痛くなり
仕事も手につかなくなる。

知らない方が幸せだった?
たぶん、そうなのだろう。
だが、
知りたくなかったかと問われると
そうではない。
どっちやねん。

たまたま自分は物書きだから
悲しみを共感して
誰かに伝えることで、
もしかしたら、
例えば、飲酒運転が減ったりしたら
良いなとか思いながら書いている。

それから

25年という月日が
どれだけ彼や彼の家族を
癒せたのかは想像できないけど、
妹さんを思い出すときに
少しでも悲しいことより
楽しかったことが浮かんでいたら
良いなと思います。