持たざる者

2024/12/23

荒木建策(放送作家/脚本家)

昔から手に何かを持つのが嫌いだった。
私用で出かけるときは大体手ぶら。
財布は右にスマホは左に、
ポケットが2つあれば、
どこに行くでも事足りる。

仕事のときは、
ノートPCを入れたクラッチバッグひとつ。
先輩や目上の人たちからは、
「キャバクラの店長かよ」(以下、店長)と
いじられ続けているが、20代後半から
ずっとこのスタイルを貫いている。

困るのは雨。
PCを濡らさぬために
大雨なら仕方なく傘を差すが、
出先や電車内で持つのが嫌だから
小雨なら神様の涙だと割り切って潔く濡れる。
このあと雨になると予報が出ていても
出がけに降っていなければ、
傘は持たずに家を出る。

鞄も持たぬ、傘も持たぬ、
ある意味定職をも持たない私は
この世の誰よりもフリーダム。
持たざる者である。

そんな私でも、
こと帰省や旅行に際しては、
どんなシチュエーションよりも悩まされてきた。
できるだけ軽量かつスリムにとは思っても
お土産や着脱した衣服の乱れを考慮した場合、
帰りの方が荷物が膨らむ。
その体積を予測した上での
鞄の選択は非常に難しいのである。
それゆえ、ありとあらゆるサイズの鞄を
持っていた。昔は。

そんなある日のこと。
先輩と泊まりがけの仕事で一緒になったとき、
彼は、空港に空のビニール袋を一枚持って現れた。
下着は現地調達、着たら捨てればいい、と
服を使い捨てコンタクトのように扱う姿勢に
手ぶら族の意地を感じた。

何を血迷ったか、
それを見た私は、若すぎた私は、
どうしても必要なとき以外は鞄を持たず、
行き先で何かを受け取るにしても、
目的地までが面倒だからと
鞄の類を断捨離すると決めてしまったのである。
夢をつかむためにある我が両の手を
縛りつけるんじゃないよと、
すべてに抗うことを決め、
手持ちの鞄を捨ててしまったのだ。

そして、それが悲劇を招いた。

当時担当していたスポーツ特番でのこと。
お世話になっている制作番組のPに
タレントに贈呈するために用意された
そこそこの大きさのトロフィーを
テレビ局まで運ぶことを依頼された。
しかし、私には鞄がなかった。

制作会社から局までは歩いて15分ほど。
まあ、イケるかと受け取りに行くと、
トロフィーは「生」で「大」だった。
鞄どころか、袋にも、箱にも入っていないし、
そんなものないと言われ、
私は、トロフィーのくびれ部分を持って、
それを運ぶこととなった。

会社を出ると(予想していたことだが)
道行く人にとにかく見られた。
何かで優勝した人だと思われた。
Pを恨んだ。
手ぶら族の先輩を憎んだ。
トロフィーを制作した美術を呪った。
鞄がない自分を恥じた。
翌日、大きめの鞄を買った。

それから5年。
その鞄を携え、
私は今、実家へ向けて21時間の船旅の最中。
5千万円ぐらいはすっぽり入るサイズ。
中には、必要最低限とは言い難い品々と
親戚に配るお土産がパンパンに詰まっている、
という、持たざる者だった私の小噺。