印籠ないしは免罪符

2025/04/14

荒木建策(放送作家/脚本家)

先々週のコラムに
約束することの億劫さというか、
約束の日が近づくにつれて、
どんどん行くのが嫌になるという
症状について綴った。

それから、
その症状は私だけのものではなく、
日本人の28%にあるということを。

その結果、
綴ってしまった結果、
何が起きたのかというと…

「私はダメ人間ではなかったのだ、
このままでいいのだ」という
謎の気概が生まれたのである。

それにより、
飲み会に誘われても、
「うちの近くでやるなら行く」
旅行に誘われても、
「うちの前まで迎えにきてくれるなら行く」と
答えてしまう、
超わがまま人間が出来上がった。

自分はそういう人間なのだから仕方ない、
という、いわゆる免罪符的なものを
手にした感覚。
私の場合のそれは、
「病気」とまではいかないが、
様々なメンタル的な病気は、
他人が知ることとなった途端に
免罪符になり得るということに気付いた。
鬱を理由に障がい者2級の手帳など
貰ってしまったら、
それはもう水戸黄門の印籠並みの効力である。

ヒトは「然とする」生き物。
だから仕方ないのかも知れない。

血液型が良い例だ。
血液型占いが、
大体的を射ているように感じるのは、
日本人がこの血液型はこんな性格、
ということを情報として
インプットしているからに他ならない。
A型は几帳面、
B型は自己中心的、
AB型は二重人格、
O型は大雑把、などと云われているのを
知っているからであり、
自分の血液型をほとんどの人が
把握している日本だから起こる現象なのである。

わがままだと批判されたときに
「自分はB型だから」という言い訳ができる。
B型然として生きることができる。
大雑把だと叱責されたときに
「自分はO型だから仕方がない」と逃避できる。
O型然として生きることができる。

自分の悪しき部分に、
病名、もしくは何かしらの名称が与えられ、
それが他覚されたときの「印籠化」。
私は、綴ることによって、
より強い印籠を手にしてしまった。

先日、
知人が7月に結婚式を挙げるのだが、
この前会ったときに
先々週のコラムを読んで、
招待していいのか迷っていると言った。

なので、
それを知ってくれているならと
一旦、断ったのだが、
さらに「出てもらえるなら挨拶もして欲しい」
と来たものだから、
「出席だけなら」と列席することにした。

印籠とまではいっていなかったようだが、
今回、また綴ったことにより、
少しだけ印籠に近づいているようにも思う。