心配、故に不要

2025/10/20

荒木建策(放送作家/脚本家)

日曜日の話。
駒沢オリンピック公園で催されていた
「駒沢わんこ祭り」に行ってきた。

駒沢は犬同伴可能なカフェやレストラン、
犬関連グッズのショップが多く、
「犬の聖地」と呼ばれているらしい。

そんな土地での開催とあって、
わんこ祭りは都内最大級の
ドッグイベントとなっている。

近く駒沢公園で行われる
東京ラーメンフェスタや、
肉フェスなどのイベントには、
全く食指は動かないのだが、
私は隠れ愛犬家であるから、
今回は行ってみることにしたのである。

実際に訪れてみると来場しているのは
小型犬ばかりで、
例えば、
「障害物競争」や「大食い大会」などは、
お世辞にも盛り上がっているとは
言い難かったのだが、
犬を「観る」ということにおいては、
楽しい時間であった。

そんな私が犬を飼わない理由。
それは、いつか死んでしまうから。
毎日毎日、愛犬が病気にならないか、
道路に飛び出して轢き殺されはしないか、
人を噛んで怪我をさせ殺処分という
最悪展開を迎えてしまわないか。
要は「心配」なのである。

閑話休題。

私には心配でできないことが山ほどある。

例えば「車の運転」。
事故って命を失う、人の命を奪う。
そのリスクを考えると心配で
乗りたいと思ったことすらない。

例えば「一戸建ての購入」。
泥棒に入られないか心配で、
きっと不眠症が酷くなる。

例えば「結婚」。
離婚が面倒で、
そもそもしなければいいという思考。

例えば「子どもを作ること」。
産まれたばかりの頃は、
乳幼児突然死症候群が恐くて、
離れられないし、
成長して一人で出歩くようになり、
門限を過ぎようものなら、
玄関の前で右往左往するだろう。

そう考えると、
人間は自ら心配事を増やして生きる
生物なのかも知れない。

だけど、心配事が現実になったら?

きっと手に入れてしまったことを
後悔するに違いない。
そう考える私は、
もしや生きるのに適していないのか?
そんなことを思ったわんこ祭り。